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「型」について考えてみました

2026/10/1(木)

「型」について考えてみました

この夏、「型」ということについて考える機会が何度もありました。

私はもともと、決められた型があまり得意ではありません。

校長をしていた頃、学期の初めや終わりになると、教育委員会へご挨拶に伺うという習慣がありました。お世話になりました、と手土産を持って伺うこともありました。

私は、これがどうにも苦手で・・・。

もちろん、お世話になった方への感謝を伝えることは大切です。

けれど、それなら普段から教育委員会に余計なご迷惑をかけないように学校を経営することのほうが、私にとってはずっと大切に思えました。

学校という組織には、さまざまな約束やルールがあります。

中には、自分では「そこまでしなくてもいいのでは」と思うこともありました。

けれど、組織の中にいる以上、それを子どもたちにも守らせなければならない場面があります。

柿の木があれば、採って食べてみたいだろうし、(投げてみたいだろうし)
溝にザリガニがいたら、捕まえてみたいだろう。

そんな気持ちは、とても自然なことだと思うのです。

それでも学校という場所では、「してはいけません」と伝えなければならないことがある。

そんな経験を重ねてきたからか、私は長い間、「型」というものに、どこか窮屈な印象を持っていました。

ところが今、自分で仕事を始めてみて、少し考えが変わってきています。

自分の仕事にも、ある程度の「型」が必要なのではないか。

そんなことを思うようになりました。

教室に来てくださる方にとっても、毎回すべてが違うことが必ずしも心地よいわけではありません。

ここへ来れば、こんなふうに時間が流れる。
まず植物に触れ、香りを感じ、手を動かし、最後にはお茶を飲みながらゆっくり過ごす。

そんな一定の流れがあることで、安心してその時間に身を置いていただけることもあるのだと思います。

考えてみれば、植物の成長や季節の移ろいにも「型」のようなものがあります。

春、夏、秋、冬。

植物は冬の間、じっと土の中や雪の下で時を過ごし、春になれば、まるで知っていたかのように芽吹き始めます。

もちろん、毎年同じではありません。

春が早い年もあれば遅い年もあり、同じ種類の植物でも、一株一株に違いがあります。

それでも、大きく見れば、そこには繰り返されるリズムがあります。

同じように見えて、同じではないが、少しずつ変化しながら、毎年繰り返される。

もしかすると、私が今つくろうとしている「型」も、そういうものなのかもしれません。

先日、長く茶道を続けておられる生徒さんに、

「型を学ぶために、私も茶道を始めてみるのはどうだろう」

と尋ねてみました。

すると、こんなことをおっしゃいました。

「先生はこれまで教員として長く仕事をされて、ハーブやアロマについても資格を取り、ずっと学んでこられた。先生にしかできない型がきっとあるはずだから、これからハーブやアロマを通して、その型を磨いていかれたらいいのではないですか」

その言葉が、とても心に残りました。

私は「型を学ぶ」ために、どこかにすでにある型を探そうとしていたのかもしれません。

けれど、これまで歩いてきた道や、学んできたこと、大切にしてきたことを一つひとつ重ねながら、自分自身の型をつくっていくこともできる。

自分が大切だと思うこと。
自分が好きだと思うこと。
心地よいと思う時間。
人と植物との関わり方。

それらを少しずつ形にしていきたいと思っています。

まだ、「これが私の型です」と言えるほど、考えはまとまっていません。

おそらく、これから何度も変わっていくのだと思います。

それでも、自分が納得できるものを一つずつ積み重ねながら、自分の型を磨いていきたい。

借り物の型では、決して自分自身が納得できない。そして、自分が納得できないものは、人に勧めることができない。

今はまだ、そんなことを考えている途中です。

何年かのちに、「自分の型」と呼べるものが積み重なった時に、今の想いを自分で振り返ってみたいと思います。

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